瑞龍寺と模擬原爆の破片

 春日山にあったお城の殿様の娘「豊姫」が天文10年(1541)ここに高林寺というお寺をつくりました。明治4年(1871)ころまで寺子屋が開かれていましたが,明治8年国の命令で壊されてしまい,その跡地に明治11年に新しい寺をつくり瑞龍寺としました。

 この瑞龍寺には,模擬原爆の破片が残されています。

 昭和20年(1945)8月6日に広島市,8月9日には長崎市に原子爆弾が投下されました。この原爆投下前,7月20日午前8時30分過ぎ,福島市の上空にアメリカ軍の戦略爆撃機B29が現れ,渡利の水田(沼 ノ町)に1発の爆弾を投下しました。この爆弾で,国民学校の高等科を卒業したばかりの14歳の少年が,不幸にも犠牲となりました。ものすごい爆風で小学校の窓ガラスは全部割れ,飛び散った爆弾の熱い破片で,付近の農家の屋根がくすぶりました。爆弾が落とされた地面は,直径約35メートルもの穴があき,周りの土は高く盛り上がっていたといいます。
 この爆弾は,「パンプキン」と呼ばれた長崎型の原爆と同じ形と重量(約5トン)で作られた「模擬原爆」で,原爆投下の特命を受けた米軍の秘密部隊が,訓練のため全国28都市の軍需工場などを標的にして,計49発を投下した記録が残っています。福島市に爆弾が落とされたのは,後にも先にもこの1発だけで,その破片が,このとき亡くなった少年の遺族から寄託され,瑞龍寺に保管されています。破片は,およそ縦20センチ,横50センチ,厚さ3センチ,重さが15キロあります。

 

本堂

資料

模擬原爆の破片

爆弾投下の時刻で針が止まった時計

豊姫の墓

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